眠り姫

 今は昔、あるところにお姫様がおりました。お姫様は大層美しく、その瞳の輝きは星のよう、姿は白百合のようと評されておりました。しかし、姫にはおぞましい呪いが掛けられておりました。悪しき魔女により、百年間の永い眠りへと落ちてしまう夢が。
 ある日姫に掛けられた呪いが現れてしまい、姫は高くそびえ立つ城の一室で眠ってしまいました。ちょうど百年後、孤独に眠り続ける美しいお姫様の噂話を聞きつけた男が現れ、茨の門や崩れる床、その他ありとあらゆる障害を越え、ついに姫のもとへとたどり着きました。
 まるでその男が現れるのを待っていたかのように、永く閉ざされていた姫のまぶたが開かれました。そのまま二人は愛し合い、幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。穏やかで心地よく、凪のように澄みきった声で、歌うように隆景殿は異国のお伽話を語り終えた。
 隆景殿は書物を読むことを至上の喜びとしている人であり、こうして他人に物語を読み聞かせることも趣味としている人でもあった。古典、あるいは今日のような異国の話を、お世辞にも教養があるとは形容しがたい私にも理解をしやすく語ってくれるのだ。そしてその代わりに、私は今まで各地を彷徨い歩いた経験を彼に話す。私の取るに足らない話を隆景殿は真剣に耳を傾けてくれた。立場上安芸を出ることのできない隆景殿は、他人の(他愛ない)経験談ですら羨ましいのだと言っていた。

 今回の話はいかがでしたか。少し前に出されたので、温くなってしまったお茶に口をつけて彼は私に尋ねる。

「南蛮の書の写しを読む機会が少し前にありましたので、今回はその話をしてみました。もっとも、原文はもう少し複雑な話だそうですが。大筋は今お話ししたものと相違ありません」

 どうやら日本へ物語がたどり着くまでに、ずいぶんと簡略化されてしまったらしい。なにしろ言語が全く違うので、いい加減な翻訳本に当たるとそういったことが起こるそうだ。

「女性としては、危険を顧みず己のもとへと現れる男性に惹かれるのではないですか?」

 私は隆景殿の問いに即答できなかった。隆景殿がそういった話を私に持ち掛けるということに驚いたということもあったが、それよりも、彼の言うことに珍しく賛同できなかったことが原因であった。
 そのためわずかに間を置いて「そうですね」と答えると、何かを察したのか、彼は少し残念そうに眉を寄せた。どうやらあらぬ誤解をさせてしまったらしい。隆景殿が言葉を発する前にそれを解かないとと思って、慌てて口を開いた。

「いえ、違うんです。お話はとても面白かったです。ですけど私は隆景殿の仰るような、私のために危険を冒すような男性に憧れるわけではなくって」
「そうなんですか。では、殿のお考えはどのようなものなのでしょうか」

 ぜひお聞かせ願いたいものです。私より幾分も年上だというのに、隆景殿のひたすらに柔らかい笑みは幼さすら感じさせる。そして私はこの笑顔がやや苦手であった。なぜなら有無を言わせない迫力というか、申し出を断った際の罪悪感がひどく自分にのしかかるからだ。あるいは、それさえも計算済なのだろうか。

 私は元来、自分の意見を積極的に述べるような性質ではないためこういった場面はとても緊張をしてしまう。私は観念をして温いお茶でからからの喉を潤すと、緊張と気恥ずかしさを押さえつけながら口を開いた。
「私は常々、守られるより誰かを守りたいと思っているんです。だから、私はむしろ誰かに求められるようになりたい」  これは偽りのない本心であった。こうして各地をさすらっているのも、私を欲している人をこの手で、私の持てる力で救いたいと思ったからなのだ。もちろん私には万物を救済するほどの技量はないため、自分の力が及ぶ範囲に限られてしまうのだけれど。

「そもそも、私ごときが誰かを救いたいなどうぬぼれに過ぎないことも、という私個人が純粋な善意で構成されていないことは知っています。けれども私は、誰かに救われて幸せに暮らすことは性に合わないんです」

 だから私はお姫様にはなれないんです。そこまでいうと隆景殿はくすくすと声に出して笑った。何がおかしいのだろうか、何か変なことを言ってしまったのではないかと尋ねると彼は首を振って否定する。

「やはりあなたは強い人だ。もしあなたが長い眠りについたとしても、私には到底目覚めさせることができない程に」

 微笑みを携えつつも、少し困ったように形の良い眉をひそめて隆景殿は呟いた。私はなんだか恥ずかしくなってしまい、照れ隠しに温いお茶を飲み干したのだった。

 それからしばらくして、私はとうとう隆景殿の言葉の意味を分からないまま安芸を去った。